主語肥大化症候群に冒された人びと

2018年8月26日

小さな単位での話を大くくりの集団に拡大適用してしまうことの危険性

主語が大きくなりがちな人

 考えることを面倒くさがる人はどんぶり勘定しかできないので、どうしても主語が大きくなりがちである。自分のことなのに、「日本人は」とか、「われわれは」とかを主語に持ってきがちだし、簡単に「男は」とか、「欧米は」とかを論ずる。自分自身のわずかな経験を元に、主語を肥大化させて世の中をとうとうと語るわけだ。

  • 日本人はそもそも…。
  • 男って言うのは…。
  • 結婚なんて所詮…。
  • アラフォーってさ…。
  • だから就職氷河期の連中は…。
  • 欧米の奴らの許しがたいところは…。

 自分自身の観測範囲の貧しさを語っているに過ぎないという自覚意識はないのだろう。

攻撃対象を無意識に拡大している

 個別論を強引に一般論に昇華させることによって、本来巻き込まなくてもよい人まで当事者や攻撃対象にしてしまうことになりかねない。たとえば、配偶者や恋人についての不満や愚痴を、異性全体に対する評価のように語られると、聞いている人は自分の大事なパートナーまで侮辱や攻撃の対象にされたような不快な気持ちになるだろう。
 個人に対する感謝や怒りをすぐ大くくりの集団に対する評価に拡大適用するのは危険だと認識しておいた方がいい。

自分は一緒くたにされると怒るのに

 人は自分のことは個人として見てもらいたいのに、他人のことは大くくりしてしまう。だから、「日本人は○○だ」と言われた時には「日本人にも色々いる。一緒くたにするな」と怒るくせに、自分は平気で「アメリカ人は○○」とか「銀行員は××」とか言い切ってしまう。
 たとえば親切にしてもらった時にも、「アメリカ人は親切ですね」と言うよりも、「Frankは親切ですね」とその人の固有名詞に対して感謝の念を表した方がいい。

主語のサイズを小さくしていこう

 どんぶりサイズどころか、ドラム缶サイズ、あるいは東京ドームサイズにまで主語を拡大させて日々雄弁に語る方々へ。
 せめて、お茶碗、あるいはおちょこくらいのサイズにまで主語を小さくして論評する習慣をつけた方がよろしいかもしれませんよ。だって、自分が東京ドームにいる数万人の中に放り込まれて、十把一絡げで決めつけや断定をされたら嫌でしょう?