大学生や大人が幼稚園児から学ぶべきこと

2019年1月12日

体だけが大きくなってしまったような成人はもう一度幼稚園からやり直した方が良いのかもしれない

「子どもたちのために何ができるか」だけを考えている幼稚園

 2017年12月7日、「城南信用金庫連携講座:経営学特講(経営者の視点:社会貢献とビジネスの両立)」という授業で、東京都大田区にある矢口幼稚園の理事長、新納正之さんをゲスト講師にお招きしてお話をしていただいた。
 ラクして儲けようなどとは一切考えず、「子どもたちのために何ができるか」ということのみを真剣に考え、自分たちの利益はほとんど一顧だにしないという素晴らしい経営者だ。そして、その姿勢や行動に賛同する多くの人びとから「子どもを預けるならば矢口幼稚園でなければならぬ」という強固な支持が集まり、結果的に経営もうまく行ってしまうという理想のサイクルが回っている。まさに、この授業が訴えたい中核的なメッセージである「社会貢献とビジネスの一体化」が矢口幼稚園では体現されている。

矢口幼稚園の「心の教育」

 授業の中で、新納正之さんが「矢口幼稚園では2歳児から心の教育をやっています。強制するのではなく、自発的にこう言いたくなるような教育をしています」と紹介してくれたのが以下の箇条書きである。

  • 自分から元気な挨拶をします。
  • 履物をきれいに揃えます。
  • 腰骨を立てます。
  • 使った後は片づけをします。
  • 人のせいにはしません。
  • お父さん、お母さん、先生の目を見て聞きます。
  • 呼ばれたら「はい」と返事をします。
  • 卑怯なことや弱い者いじめをしません。
  • 『どんまい』と、友達を励まします。
  • 失敗は挑戦した証拠、やればできる。
  • 最後まであきらめない。
  • 『ありがとうございます』の言える人になります。
  • 良く学び、自分で考え、行動します。
  • お手伝いをします。
  • 人が喜ぶことを喜んでやります。

 私はこの話を聞いてその場ですぐに、「これは幼稚園児ではなく、ここにいる大学生にこそ身につけてほしいことばかりです。これが全部できれば、もう大学で教えることはほとんどありません」と思わず口にしてしまった。教室にいた大勢の大学生たちは苦笑いを浮かべていたが、反論することすらできないような様子であった。
 大げさでなく、「失敗を恐れず挑戦し、良く学び、自分で考え、行動し、人が喜ぶことを喜んでやる」ようになってくれれば、大学教員の仕事は「場」を用意してあとは見守るだけでよくなってしまうだろう。

「心を失った大人」になっていないか

 皮肉を込めて書くのだが、わがままな乳児のまま体だけ大きくなってしまったような大学生の姿とは「心を失った大人」であり、以下のような感じではないだろうか。

  • 挨拶されても、挨拶を返しません。
  • 履物は脱ぎっぱなしです。
  • 猫背でだらしなく座ります。
  • 使った後はそのまま放り出します。
  • なんでも人のせいにします。
  • お父さん、お母さん、先生の目を見ることもないし、話も聞きません。
  • 呼ばれたら無視します。
  • 卑怯なことや弱い者いじめは見て見ぬ振りをするか、加担します。
  • 友達を思いやることなどありません。
  • 失敗しそうなことはやりません。
  • 最初からあきらめています。
  • 『ありがとうございます』を言えない人になってしまいました。
  • 学ばず、自分で考えず、行動もしません。
  • お手伝いは嫌いです。
  • 人が嫌がることを喜んでやります。

もう一度幼稚園からやり直しませんか

 もしも自分に子どもができたとしたならば、あるいはいたとしたならば、矢口幼稚園が教えているような人になってほしいとは思わないだろうか。たとえ、自分自身が「心を失った大人」であったとしても、そういうふうに思わないだろうか。それとも、自分のような大人になってほしいと思うのだろうか。
 心を失ってしまった上記のような大学生あるいは大人がいたとしたら、彼らが通うべき学校は大学でも大学院でもなく幼稚園なのかもしれない。そして、そこで生きたお手本としての幼稚園児たちの姿を通じて学ぶことで、人間にとって本当に大事なことは何なのかについて改めて深く考え直すことができるのかもしれない。

 新納正之さんのお話をお聞きしたあの日、私自身、大学教授の職を辞めて矢口幼稚園で働きたいなと一瞬本気で思ったことを書き添えておきたい。